松井秀喜「星稜高校で経験」5打席連続敬遠は勝利への執念だったが…


 
あれから22年経ってしまったんですね…
高校生だった松井秀喜さんは引退して
讀賣の次期監督候補にもあがっています。

5打席連続敬遠をTVで見たとき
逆に明徳の選手のメンタルが心配でした。
 

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松井秀喜のプロフィール

松井秀喜さんと言えば
星稜高校出身です。

 

松井さんの他にも
サッカーで話題の
本田圭佑選手も星稜ですよね。

 

本題に入る前に松井さんの
プロフィールを掲載します。

松井秀喜プロフィール

メジャーに移籍したとき
ビックリしたことを覚えています。

 

僕たち阪神ファンは
松井さんがFA宣言するときは
阪神に…
と本気で信じていたからです。

 

…置いといて

 

当時の常識として
日本の野球界NO.1である
讀賣ジャイアンツを出て行くとは
思えませんでしから
衝撃的なことでした。

 

一説によれば
讀賣ジャイアンツのフロントに
東京ドームの天然芝化を要求して
受け入れてもらえなかったことも
移籍理由の1つだと言われています。

 

フロント側にすれば、東京ドームは
讀賣グループの所有ではないので
色々と問題があるため
難しかったのでしょう。

 

そもそも野球のNO.1である
讀賣
自社グループ所有の球場を使用していない
そのことに問題があると思います。

 

他球団の使用している球場も
自社グループで所有しているのは
阪神、中日、オリックスの
3チームしかありません…

 

※ソフトバンク、広島は
球場の株主ではあるようです。

5打席連続敬遠とは

第74回全国高等学校
野球選手権大会2回戦
明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)
1992年8月16日のことでした。

 

5打席連続敬遠

 

明徳の馬淵監督は
高知県の高校野球レベルが
低下していると考えていました。

 

実際、高知県代表は
1985年の春のセンバツで優勝した
伊野商業以来
優勝から遠ざかっていました…

 

高知県は野球王国の1つなので
関係者のプレッシャーもあり
その上で勝利至上主義になったと思います。

 

選手の方も、勝つためには
なんでもしたかったと思います。

 

選んだ手段が相手星稜の主砲
松井選手の敬遠だったんです。

 

勝負できない悔しさはあったと思いますが
勝ちたい気持ちの方が強かったはずです…

 

監督、選手ともに勝利への執念が
敬遠を選択させた
僕は今でもそう考えています。


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しかし、注目の松井選手を
5打席敬遠すると言うことは
当然、世間の注目を浴びてしまいます…

 

その矢面にさらされた選手は
高校生ですから
耐えられるはずがありません。

 

3回戦の広島工業戦で
0-8の大敗を喫してしまいました。

 

馬淵監督もここまでは
計算していなかったんでは?

 

選手たちは色んな意味で
一生の思い出となったでしょう。

 

その後の明徳義塾は
5打席連続敬遠の経験が生きたか
分かりませんが、2002年に
夏の甲子園で優勝を飾りました。

 

結果的に高知県の野球レベルを
上げたことになったと思います。

そして少年は大人になった…

5打席連続敬遠の当事者
松井秀喜さんともう1人…

 

背番号8番の明徳義塾投手
彼のその後の人生は
どうだったのでしょうか…

 

松井選手が讀賣ジャイアンツに
入団してしまったので
僕たち阪神ファンは

 

明徳のピッチャーを獲れば面白いじゃん

 

そう思ったりもしたんですが
プロは甘くなかったですね…
彼なりに大学、社会人で努力したでしょうが

松井選手と再び対戦して
三振を獲る夢は叶いませんでした。

 

プロ入りはできませんでしたが
彼は彼なりに、他人が経験できない
野球人生を送ったと思います。

 

そんな彼にチャンスが巡ってきました
TVの企画で松井さんと対戦できる!

 

なぜか清々しさ
うらやましさを覚えました…

 

結果は再びフォアボールでしたが
意味のある6球に
松井さんも感慨深げでしたね。

 

男と男の真剣勝負、感動しました。
2人の男に心から
ありがとうと言いたいです!

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