黒田官兵衛の義兄「櫛橋左京進とは?」男の意地が当たり前だった時代


 
黒田官兵衛のお嫁さんである
「てる」その実家
櫛橋(くしはし)氏の
当主であり、みつの兄でもある
伊則(これのり)は
官兵衛の義兄ですね。

大河ドラマでは
左京進(さきょうのしん)ですが
これは通称であって
本名は伊則と言います。
 

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官兵衛の義兄、左京進

黒田官兵衛のお嫁さん「てる」は
彼女の実家である櫛橋氏は
赤松氏の支流で
播磨国印南郡(兵庫県加古川市)
志方城主の家系です。

 

櫛橋左京進は「てる」の兄ですので
官兵衛にとっては
義兄にあたります。

当時の播磨国は
飛ぶ鳥を落とす勢いの
織田氏の進行を受けていました。

 

なので、櫛橋氏は
織田氏に敵対するはずでしたが
時代の流れを読み
織田氏に帰属しました。

 

ところが、櫛橋伊則(左京進)には
意地がありました。

 

時代の流れとは言え
よそ者の織田氏に帰属することを
心よくは思っていませんでしたので

天正6年(1578年)2月
三木城の城主・別所長治が
織田氏に反旗翻したことをきっかけに
櫛橋氏をはじめ
播磨国の豪族のほとんどが蜂起したんです。


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現在の男性は
草食系とか言われていますが
戦国時代の武士には意地がありました。

 

下剋上の世の中で
仁義もへったくれもないと言われますが
武士の魂を持った武将はたくさんいました。

 

媚びてまで、生き残りたくはなかった…
男の意地が当たり前の時代だったんです。

 

僕は、それを美しいと思いますし
現代人には到底
真似できないことだと思います。

半兵衛と官兵衛

戦国時代の軍師と言えば
両兵衛ですかね…

 

両兵衛とは
竹中半兵衛と黒田官兵衛のことで
両兵衛は二兵衛とも言うのですが
この2人の軍師はとても対照的でした。

両兵衛

竹中半兵衛は、人格者のイメージが強く
豊臣秀吉がもっとも
信頼した武将だったと思います。

 

一方の黒田官兵衛は、立身出世の欲が強く
豊臣秀吉がもっとも
恐れた武将と言われています。

 

もっともと言いましたが、実際には
徳川家康と黒田官兵衛の2人を恐れていて

 

恐れていたからこそ
家康は関東に追いやり
官兵衛は九州
押し込めてしまったのです。

 

当時は京都を中心に
近畿地方が日本の真ん中で
関東や九州と言えば
完全に左遷と言うことですから
2人は国作りからはじめる始末でした。

 

言うならば、ド田舎
と言うことです。

 

秀吉側から見れば
官兵衛は封じ込めたけど
家康を封じ込めることは
不可能だったのです。

 

歴史に「たら」や「れば」
NGなんですが、半兵衛が生きていて
両兵衛が揃っていたら
徳川の世(江戸時代)になっていたんでしょうか?

 

両兵衛が揃って、戦国最高の軍師
だったのかもしれません。

 

歴史って本当に興味がつきませんし
「たら」や「れば」を持ち込んで
好きな武将で天下取り…
僕はそんなことばかりやっています。

 

あなたも歴史にハマってみませんか?

 

賢者は歴史に学ぶとも言いますし
きっと面白いと思いますよ。

 

追記1:
黒田官兵衛は幽閉されたことがありますが
その場所は兵庫県の伊丹市です。

 

黒田官兵衛の幽閉について知りたい方は
下記のリンクを今すぐクリックして下さい!

 

黒田官兵衛が幽閉された有岡城とは?

 

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